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マイホームの購入に不安のある方へ

妻の実家の工務店を継いだ二代目社長
大工職人だった私が、ようやく見つけたのは
お客様の笑顔が見える「家づくり」でした

大工さんになって家をつくりたい

大工さんになって家をつくりたい

岡山県の田舎町で生まれた私は、学校まで片道4キロの道を毎日通う
元気な子どもでした。
晴れた日には、遠く瀬戸内海の島々が見える
山の頂上にある小さな町で、
4人兄弟の二男として
のびのびと育ちました。

会社員の父はとても寡黙な人で、
私は父が大好きでした。父の手伝いで、
よく畑仕事をしましたが、木で物を作るのが好きな私は、それがいやで、
暇さえあれば、うさぎ小屋、ハト小屋など一人でコツコツと作っていました。

そんな私が初めて大工さんを見たのは
近所の友達の家です。
大工さんが大きく体いっぱい使って、材木を削ると
木の香りがする。
何もないところから、絵図板一枚で家ができあがっていくのが
とても不思議でした。
いつの間にかどんどん形づくっていく様子は私にとってとても魅力的だったのです。

「僕も大工になっていつか自分の家を建てるんだ。」
それが私の大工職人なるきっかけでした。

『世間様を知るには、
他人の釜の飯をたべないといけないよ。』
父はそう言って私を倉敷にある工務店で修業するよう
勧めてくれました。

自分で職人の世界に飛び込んだとは言え、
ただただ毎日が辛いばかりでした。
大工の修業を甘くみていた私には
すべてが試練の連続でした。

手取り足とり教えて貰えることはなく先輩の技術を見て教わるのが
職人の世界。
その職人の世界の中で技術とたくさんのことを
教えてもらいました。

「これからも、いい大工さんになりなさいよ」
「親方と先輩大工さんたちと」

「これからも、いい大工さんになりなさいよ」

工務店に入って7年が経った頃、親方は『墨つけから全部一人でやってみろ』と言ってベテランの大工職人さんを傍につけてくれました。
ようやく自分も、大工の仕事を任せてもらえるんだと感激し、
そして緊張しました。私は、一生懸命頑張らせて貰おうと心に誓いました。
毎日が生き生きとし、建て主さんとの会話があり、
『家づくり』の楽しさがありました。信頼されている実感が沸々とわいて、
責任感も増し一生懸命でした。

楽しかった……。
私はまるで自分の家をつくっている
気持ちになっていました。

完成したときの感激は私の一生の宝ものです。
そこには、建て主さんとそのご家族の喜びの笑顔が
あったのです。

「いい家にしてもらって有難う。
これからもいい大工さんになりなさいよ。」

そんな言葉までもらい、
私は本当に嬉しくて飛び上がりそうでした。
そして大工になって、本当に良かったと
心の底からそう思いました。

自分はただの、下請け業者…

そして、ようやく一人立ち。
しかし、当時私は下請けの仕事ばかりしていました。
その時、自分の描いていた仕事とは違うという現実に
色々考えるようになっていました。

いくら一生懸命に丁寧な仕事をしても、そこには建て主さんの存在はなく、
渡された図面通りに、ただ、もくもくと進める毎日に疑問を感じたのです。
そして、たとえ建て主さんが現場に来られても、
私はただの下請け業者です。

私には、お客様と一緒に家づくりをすることは
できないのです。
というか、
建て主さんは家づくりの希望を、現場監督さんに伝えることはできますが、
大工職人から見た家づくりの提案は、お客様には伝えることができません。
それが私には残念でした。

職人の勘で材料を吟味することも許されません。

私は、自分の家を建てると同じ気持ちで
家づくりをしたいと思っていました。
そのためには、職人としてプロとして、
提案してあげることが
お客様の喜びのはず。

『これで、お客様が喜ぶ家づくりになるのだろうか?』

下請けという立場では本当の家づくりはできないのではと
思うようになりました。

私は、はやく義父のようになりたいと思いました
私は、はやく義父のようになりたいと思いました
「上棟式はたくさんの大工さんの協力がいります。」

私は、はやく義父のようになりたいと思いました

それから、私は縁あって結婚をしました。
妻の実家は工務店、
私は姓をかえて山形建設に入社しました。
私が25歳のときです。

私は、これからも大工の仕事を頑張ろうと思いました。

実直な人柄の義父は後継者として私をとても可愛がってくれました。
常に威風堂々とし大工職人さんへ指示する義父の姿は、
私にとても眩しくみえました。

義父も私と同じ大工職人です。
義父は私に家づくりについてよく語ってくれました。

『いいか、家は何年たってもびくともしないものを
造らないといけない。
だから重要な所には大きな材料を使うんだ。』

義父がめざす家は力強い家でした。

『びくともしない家だったら
後は改築も、増築も安心してできる。
お客さんもその時きっと喜んでくれるはずだ。
だからこそ何十年後までも関わっていく責任のある仕事なんだ。』

義父のこだわりは、自分の名に恥じない仕事であり
建て主さんへの責任でした。
建て主さんと義父には信頼という言葉があり、
ご家族の笑顔がありました。

その時、私は確信したのです。
ここには、下請けでは叶えられなかった、
お客様と一緒の家づくりがある。
だからお客様の笑顔をみることができるんだと。

私は、早く後継者として義父のようになりたいと
思いました。

『ずっと家づくりをしたい!』
心の中で叫んでいた

義父は『公共工事もする。
だから、土木工事はお前にまかせる。』
それは本当に突然のことでした。

私にとって本当の試練は、この時からです。

でも、おれは建築の仕事がしたい。
ずっと家づくりに携わっていたい。

私は心の中でそう叫んでいました。

しかし、口に出せなくて社長に従うしか
ありませんでした。
建築は今まで通り社長が担当することになりました。

それからは葛藤の連続です。
公共工事(土木工事)は、現場はもちろん大変ですが書類も大変、
日中は現場、書類は深夜にかけて作成、そんな毎日が続きました。
やり始めた公共工事はやり抜くしかない。
私は我武者羅に突っ走っていました。
埃や泥まみれになっても気にならなかった、
土木工事を軌道にのせることが一生懸命だったからです。

義父との確執

いつの頃からか社長の義父は、
自分の思うように行動し相談もしなくなりました。
お客様との打合せも社長のみ知っている。

義父との関係がぎくしゃくし始めたのはこの頃です。
私も社長の義父に相談しなくなり、
お互いが確執を感じ始めました。

その頃の私は、強気になっていました。
自分のやり方が正しいと突っ張っていました。
社長もますます強気になり
「どうして、わしの言うことをきかないんだ!」
そう言って、自分の指示に従わない私に、
苛立つ言葉を浴びせるのです。

娘の言葉に胸がはりさけそうになりました

その頃、追い打ちをかけるように家庭内で問題が起こっていました。
高3の末の娘が、私と妻にむかって
「今まで、私の話をじっくり聞いてくれたことがない。」
そう言って、
決めていた進路をやめると言いだしたのです。
私は全く理解できませんでした。

その時のことを思い出すと今でも胸が痛くなります。
娘は家のことも、よく協力してくれ残業が続くと
私を気づかってくれていました。
娘と向かい合って話しをしてみると、
私は胸が熱くなりました。

学校のことやいろいろなことをもっともっと
相談したかったらしいのです。
いつか、聞いてもらえる時がくるからと待っても、
そんな時が来ないと言います。
私は、そうか……もう長く夕飯を一緒に食べていない、
そして会話もなかったと気付いたのです。

家族を大事にしていない自分が
とても情けない人間に思えました。
『仕事が忙しい』の言葉で大事なことから逃げていた、気弱な父親でした。
まず、父親である自分が仕事で
生き生きとしていなければ
家族も幸せにならない。

家庭でも、そして会社でも中心になるのは私でなければならない。
生き生きとする私を中心に会社は一体化し、
そしてお客様に喜んでもらえる仕事ができる。
そのために私は、自分の大好きな建築を
これからも携わっていこうと
強く思いました。

私は早速義父の説得にとりかかりました。
しかし、これは最も大変なことでした。
まず、義父を説得しても無駄だと家族が言い、
本人もこれからも自分の思うようにすると断言します。
やはり皆が言うように結局無理なんだと思いました。
今まで通りやっていた方が無難なのかも知れない、
と落ち込むように
なりました。

ほとんどあきらめかけていた時のことです。
あるお客様を私が訪問するというチャンスがありました。
そのお客様は、一年前に雨漏りがするので屋根の見積して欲しいと
依頼があったのですが、見積書をお渡ししただけで
其のままになっていました。
お客様から見ると、
とても不親切な工務店に違いありません。
なにをいまさらと、言われるのを覚悟で訪問したところ心良く迎えていただきその時の見積書を探してくださり、そのままの金額で工事させてもらうことになりました。

『孫が産まれるのをきっかけに別棟を新築する予定になっています。
あのままスムーズにお付き合いしていたらお願いすることになっていたかも知れませんね。』

お客様の素直な気持ちをこんな形で聞くことができました。
皮肉を言われ、見積書を突き返されてもしかたない私に対し、
こんなにも紳士的に対応してもらい、お客様にどんなにか気を揉ませたかと
想像した時、私は恥ずかしさと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

そして、改めて会社の想いを一体化し、お客様に喜んで貰える仕事がしたいと
心からそう思いました。

妻と二人で再スタート!

それから間もなく『お前にまかせるからやってみろ。』
そう義父から言って貰い、
正直本当に有難く感じました。

義父もあれから、いろいろ考えたのだと聞きました。

任された重責に押しつぶされそうになりながらも
私と妻が中心になっての
再スタートです。

と言っても、今までの私は現場ばかりで営業なんてしたことがありません。
ですから、いい家をつくる自身はありますがお客様をさがす術がありません。
ましてや、どのようにお客様と話をしたら良いのかさえ分りませんでした。
試練をかかえての始まりとなりました。

そんなある日、20年前新築でお世話になったお客様から
嬉しい声を聞くことができました。

『20年経ってもどこも狂いはない、
大きな材料を
つかってもらったからねー。』

義父が言っていた、20年を経て関わっていく『家づくり』の責任を私は身をもって感じ、そしてお客様が喜んでくれていると実感した時、
「大工になってよかった」と感激した昔の自分を思い出しました。

私の原動力はお客様からもらう笑顔だったのだと
気が付いたのです。

『シックハウス』を知らないのは
自分の勉強不足だった!

そんな時です。
今、「シックハウス」ということが社会問題となっているということを
知りました。
小さな子ども、赤ちゃんに急増するアトピー、小児ぜんそくは、
食べ物だけが原因ではなく住環境も原因だというのです。
私たちが携わっている仕事がシックハウスの原因に繋がっていると
知りました。

私と妻は目の前が真っ暗になりました。
再スタートを切った私たちには「シックハウス」を知らないことが
重くのしかかっていました。
報道では建築資材の接着剤が原因で新築した家に入居してから原因不明の症状
で苦しんでいるというのです。

私はまず、「シックハウス」の猛勉強をしました。
そこでわかったことは、

  • 暖かさを追求するばかりに気密性が良すぎる。
  • ビニールクロスや合板フローリングは塩ビ性で
    ホルムアルデヒドが発生する。
  • 内部結露によるダニ、カビの発生がアレルギーの発症原因。

しかし、いまの現状は、あたかも大丈夫感があります。
各部屋に換気扇を回して空気を外に流せば大丈夫。
ビニールクロスや合板フローリングなどはF☆☆☆☆などと規格を作り、
大丈夫さを強調。そこで私は落ち着いて検証をしてみることにしました。

私や義父たちが継承してきた建築には
「シックハウス」はなかったと思います。
その建築は、床は無垢のフローリング、壁は塗り壁、それが普通でした。
柱からすべて木材がふんだんに使用されていました。

見える所は桧や栗の木、桜の無垢材、
それは年を重ねるごと、光沢をおびていきます。

しかし、隙間風はあり、寒かったのです。
現在はその寒い家を暖かくすることだけを追及してしまいました。
そのため、気密性が良すぎて魔法瓶状態になってしまったのです。
日本の国土は、高温多湿であることも原因だとわかりました。
疑問の中からわかったことがあります。

  • できるだけ自然素材なものを使用する。
  • 冬暖かく夏涼しい家には、断熱性は必要。
  • 風のとおりを考えた間取り。

ビニールクロスや合板フローリングを極力使用しない、そして自然素材なものをできるだけ多く使用することが重要であることがわかりました。
そして結露を発生させない工法が必要であることもわかりました。

『今の普通』と『昔の普通』
「無垢材の部屋」

『今の普通』と『昔の普通』

私は猛反省しました。
家づくりのプロとしてあまりにも無知だったと
反省しました。

ビニールクロスは塗り壁に比べ施工は短期間、見栄えもきれいです。
私たち業者はこぞって新しい商品を取り入れてしまいました。
そのため、床は合板フローリング壁はビニールクロスが
今の普通になりました。

だから、お客様が「普通でいいです。」と言われたら私たち業者は、
呼吸しない塩ビでできたビニールクロスを選びます。
つまり今の普通は偽物、昔の普通が本物なのです。

義父や私たちの受け継いだ家づくりには
『シックハウス』はありません。
ではなぜ業者は本物を提案しないのでしょうか。

しかし、私たち建築のプロは自分の家には自然素材を使用します。
それは、呼吸する自然素材は気持ちいいし、健康にいいと
知っているからです。

私は自分の家をつくると同じ気持ちでお客様の家づくりをしてきました。
だから、お客様に今の普通は偽物で、『本物』をお伝えすることが
私の使命だと思います。

私と妻はその時強く決意しました。
家づくりは、お客様の想いを形にするだけでなく一生かけて関わっていく
責任があり、お客様だけの要望を聞くだけでは家づくりは成功しない。

今の普通は偽物で、昔の普通が本物、そして本物を知ってもらう。
私たちは「シックハウス」問題を知ったことによって家づくりの方向性を見いだすことができ、お客様に「気持ちいい」、だから「健康にいい」と喜んでもらえる家づくりができるようになりました。
しかし、その家づくりの価値を決めるのはお客様側にあり、お客様は私にプロとしての提案を待っておられるのだと、勝手ですがそう思っております。

それが、必ず、お客様に喜んでいただけることなんだと思います。

追伸
私は、健康に配慮した「気持ちのいい家」で一人でも多くの人に暮らしてもらいたいと思い家を作っております。「お客様と一緒に作る家づくり」に、何かお役に立てることがあればご相談ください。

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